水簾洞ブログ
信濃川の鮭漁 、冬河の狩人
鮭より都会の鮭漁師が好きで来ています。
新潟市中央区、信濃川に架かる昭和大橋付近
根っからの鮭漁師、 いやいや
釣り人の終着駅であって、 釣旅の果てであったりもする
かあちゃんに仕事を任せ、日がな網を手繰り寄せている。
悠悠と生きるって、つらいよ
外れ、厄日、 ただ、ただ、当たりを待つ二人
どうだ辛いだろう、 だから やめられねんだ
旦那の道楽 後の橋が昭和大橋です
旦那と一緒で色々ありましたが
新潟市民にとっては、なくてはならない橋です
また、
柳都大橋界隈、朱鷺メッセ新潟コンペンションセンター前に
「稚魚放つの」碑があります
北の漁場へ
明治期の新潟港は、北洋サケマス漁船の基地として栄え
明治42年には露領水産組合の新潟支部も結成され、北海道に
ついで大きな規模であったとのことです
ただ、
漁には遭難の危険が絶えずつきまとい
漁業家にとっては一種の賭けであって
漁業従事者にとっては命がけの重労働でした。
(市制100周年記念、図説 新潟市史より、中略す)
また、
オホーツク海のサケマス漁で命を落した方々の慰霊碑が
護国神社境内に祀られております。
鈴木牧之著「北越雪譜」伝、 長岡藩の藩主に鮭献上のこと。
長岡、魚沼、川口にて取れし初鮭は鮭一匹に米七表を下されば
以後第五番まで褒美が下されし。
また献上の鮭には定められた理あり
大鮭(上限なし)から小鮭(80センチ)と定め
雄を男魚(おな)、雌を女魚(めな)といい
女魚は、子を孕んでいる故に高価なり。
と記されている
それにしても鈴木牧之、鮭に結構な枚数を割いている
鮭の女魚、男魚の「ざれにつく」や「鮭の洲走り」は
ディスカバリーもかたなしです。
今でも岩魚の洲走りは有名で、NHKで紹介されたほどです
「北越雪譜」一冊、総べて徒歩で取材したわけで
昔の人は偉かった。
こんな時遊は、 いくら金を積んでも売っていない
寒さ知らずの冬河の狩人です。
鮭については、新潟県観光協会の
ネット[うまさぎっしり新潟ブログ]<信濃川の鮭漁>がベストです。
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