水簾洞ブログ
高田喜久司と長距離走者の孤独 其の一、其の二、
天敵であった、
旧姓西沢喜久司の若かりし頃 手に余る問題児であった
どうやって喜久司の手から逃れるか、そのことばかり
考えていた。
実家が一時期下宿屋をしていたのである、
その間十人ちかい大学生と寝食を共にした はなたれ小僧で
勉強が大嫌いの身の上ゆえ、
子供部屋の窓から庇と隣家の壁に両手両足を大の字に突っ張り裸足で
こざき下り小道を挟んだ隣りの関屋公衆市場に雲隠れを散々した
市場の花屋、天ぷら屋こそ大人の鏡だった。
そんな下宿人の中には小学三年生のオレを連れ関屋ナンカイ劇場へ
ポルノ映画に連れ出すという快挙をやってのけた猛者もいた
いまにしてみれば「俺はオヤジだ」とでも言いたかったのだろうが
どこの世界に子を連れてポルノを観に行く親がいる。
こんな環境なので
次第に学校の先生を斜めに見下す餓鬼になり果てたのである。
昨日の地元新聞朝刊に目が止まり頭の毛の薄さは
昔と変わらずだなぁなどとあの当時を思い出すと同時に
喜久司が上越教育大学名誉教授・・・
道理で学校が荒れるわけだ。
行き当たりばったりで整理がつかぬので後へおくる。
高田喜久司と長距離走者の孤独 ( 其の二)
言っておくが彼らが嫌いなわけではない、下宿人のなかには
当時、県下初のトランポリンが新大の体育館へ納入され
下宿人の縁ゆえ散々遊んだ、そのうち調子に乗り友達を連れ立って
我が物顔に振る舞い、とっ捕まり説教というより折檻された、
そんなこんなで
新大の下宿人の思考は手のひらのごとく知り抜いていると
高を括って野放図に遊び惚け
新潟市に海水温泉施設
ビーチセンターが開業したおりなど大人をしり目に
トランポリンで大した事をやってのけたものだったが
依然として勉強の方はからっきしだった。
喜久司が算数プリントを机におき
それに向かって涙を流すオレに腕組みをしため息をつく
九九の、六の段以降が嫌だった指が足りない、涙が止まらない
とまらない。 監禁され
根競べの果に逃げれぬよう電気ポット持参で珈琲を淹れてくれる
のである。 涙目に夜更かしまで付くサービスぶりのお陰で
この歳になってもドライアイにならずに済んでいることが
涙が止まらないほど有難い。
あっ、そうだここで
大きな誤解があったことを先生方に伝えておかなければ
ならない事がある、
先生、
オレは問題が解けなかったから涙目になったわけではない
のですよ
下宿人にとっ捕まった無念さで涙目になっていただけ
だから。頭の出来の良い奴が不出来な奴の思考など理解できる
わけがない 俺だって頭の出来の良い奴の、なんって言うか
たとえば、「三島由紀夫と東大全共闘」あれなんか
教習所でバイクの免許を取得しローンを組んで暴走族している
不細工な奴と同じであってとっとと自力で歩けやと言う具合で
立身出世した教え子がTVなんぞに出ると必ずや先公が
セットになって出てくるあれとか
その先公が不出来な生徒に「お前たちの将来を心配して
言ってんだ」などと説教するあれね (聞いとるか全共闘)
その先公が率先して
「宮崎勤は私の教え子で御座います」なぞとは決して
言わないご都合主義のそれね なにが集団生活を学び皆平等だ
元々学校(この社会)に平等なんって全くないのさ。
そういう職業でありながら平然と噓をこく脳みそが知れないので
将来善き先生を目指す若い人にはアラン・シリトーの
「長距離走者の孤独」を是非勧めたい。
高田喜久司先生とはと分かり合えないこともありますが
現在も幾度となく我が家を訪れてくださる
温情高き本物の善き先生です
年齢のこともありくれぐれも御身ご自愛くだされることを。 悪たれより、
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