水簾洞ブログ
八月の晴釣雨読 鮎 師
鮎 師 夢枕獏、著
文春文庫
カッコイイでも
あんた、結局、おれたちと同じ人種だってことだよ
連日の猛暑炎天下のもとお体ご自愛下さい。
わたくし事の鮎釣り話しで恐縮なのですが
かれこれ四五十年ほど前、何も知らぬ自分をアユ釣りに
誘って下さったのは信濃町に食堂を営んでいた
田中英輔氏(故人)この方は お店の弁当を海での漁で賄い
最後は信濃川の鮭漁まで行ったという筋金入りの
釣り狂でありました。
その田中屋のオヤジと釣友の方に誘われて胎内川に
出かけた。 当時のアユ竿はグラス製で手元から握りまでの直径が
5㎝はあっろかという代物で川面に立ち水平に保つでけでも
大変な重労働だった上にそれで囮アユを釣らねばならなかった。
早朝の河原で、
「いいか、何が起ころうが竿だけは絶対に手放すな」と口を酸っぱく
言われ、 コロガシ仕掛けのトリセツをザァーと手取り足取りで
教えていただき、川へ立ち入ったがたちまち仕掛けが川底のゴロタに
根がかる、悪戦苦闘するのだが一向に解けぬ川瀬の音で声が届かぬ
「仕掛けを切ってもいいか」と怒鳴ると「バカ野郎!!
根がかった処まで行って外せ」と怒鳴られ「いいか! 絶対に仕掛けを切るな
首までつかろうが潜ぐろうが外せ」と怒鳴り返される、しまいには
底石のぬめりに足をとられ川下へ流された、何より借り物の竿であり
アユタイツやベストなど無い時代、釣りで溺れたのは後にも先にも
この時が初めてで、こりゃぁ『豪いことになっちまった』何んも楽しかぁねえよ・・
以後三日に明けず通ったが一尾も種アユを物に出来ないでいた・・・
週末にかけ雨がつづく晩、
釣りに行く行かぬで夜雨の店で散々酒を飲み明し河原に立っていた
水はすっかり引いてはいたのだが濁りはひどく、三人が河原でなにやら
揉めている
一番年下でなんも出来ぬへったれの自分は河原をぶらぶらしていた。
オイ、オイ⁉ォィ・・
増水が引いた水たまりやその辺りに
ォィ、、ォィ
無数のアユが浮いたり跳ねている・・・・
川下で立ち尽くす三名を遠目で気にしつつ拾い集める。
両手に足りぬ。
土手に上がって入れ物を物色しあっという間に十匹、でも
恥だよなぁ~
あの三人になにを言われたもんじゃぁない、
でもほしい。
いいやもう何言われたって・・・
四十に欠ける数である、
三人組に合流すると今日は止めると決まったとのこと。
オイそれどうした、それ、
皆で拾い始める大漁につぐ大漁だ。
帰り道、
車内の無言の雰囲気が分かっているよなと決め込んでいた。
それ以後、自分としては、
アユは釣るものではなく拾うものとなったのであり
「鮎釣りは見るとやるとは大違い」
あんな苦労は懲り懲りなのであります
どうにもこうにも。
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